愚問をてってれーするの楽しすぎるでしょβ

ESRのエッセイに唆されてPythonする初心者が半端な勉強ログを書き散らす場所 ICT文化にどうしても住みたいという遠大な啓示が下った人の住処/気持ちよさのためだけに/お客様のお忘れになった恥の概念が母胎に届いているようです

正直気分が乗らないので日記

最高。やっぱり私がプログラミングに関する人間の営みが好きなのは、その頭の使わせ方が好きだからだろうと思う。今は、IDEとかテキストエディタとか、LINUXを意味が分からないままインストールすることよりも、分かる範囲のメモ帳とcmdだけで遊びたい。(LINUXは一刻も早く欲しいけど)

 

子供の頃、授業中の教室では大体内職してるタイプだったし、特定の好きな大人にずっとはっついて質問攻めにすることと、文章を書くことと、辞書と読書で勉強の経験をしてきたような気がする。その後、人からの情報の得方とか、データベースの検索の仕方とか、多少はバリエーションが増えたけど、大体高校の頃からそんなに進歩してなかった。

 

ドラマチックな解釈をすると、ESRのたった1つのエッセイで、頭の使い方の違う世界が開けたので、ちょっと夢か現か迷ったくらいだった。癒しを求めてぼーっとネットサーフィンしててよかった。こんな性善説で面倒がない世界がまともな現実だとはなかなか信じられない。

 

それで、とても不思議なんだけど、こういった頭の状態と、ある種のアニメやその制作現場の映像がとても親和性が高いように思う。実感として。別のエントリでもう既に全力で主張してるけど、私はよくあるジブリファンで、以下に貼ってるやつなんかを、高校の時は随分時間をかけて眺めてた。青い春?くそくらえ。これが私の青春だ。彼らの頭の使い方が割と好き。うまく言語化できないけど、プログラミング系の情報に触れてあー最高ー、と思っている時、この手の本を眺めてた時間を思い出すし、その中で見ていた発想とか文化とかを思い出したりする。語彙をさーっと走査した結果、こういう大好きな状態を閑雅と呼んでる。

新・増補改訂版 三鷹の森ジブリ美術館

新・増補改訂版 三鷹の森ジブリ美術館

 

 という私の視点による感想文でした。おわり。

 

追記:

高畑勲の大学ノートシリーズ、どれでもいいから読みたいんだよなぁーっ。

http://ghibli.jpn.org/report/poroporo/より引用。

 高畑勲監督といえば、徹底的に調べつくしてディテールに拘ることで有名ですね。

おもひでぽろぽろ』でも、紅花作りのシーンを作るにあたり、現地に赴き取材を重ねたそうですが、それだけでは飽き足らず、日本中の紅花作りに関する本を読破したそうです。そのうえで、独自に紅花作りの本当の作り方を開発したのだとか。『鈴木敏夫ジブリ汗まみれ』で語られた高畑勲談義を、一部文字起こししました。

鈴木:
おもひでぽろぽろ』を作ったときはね、紅花作りっていうのを映画のテーマにしようと。そしたらね、ぼくと二人で現地に行くんですよ。山形の市役所行ってね、「紅花作ってる人、紹介してくれないか」と。
それで、三軒ぐらい回ってね、紅花を作る――作りかた全部教えてもらったんですよ。それで、東京へ帰ってきて。そしたら、「紅花に関する、日本の本を全部集めてください」って言うから、しょうがないから集めるわけよ。で、それを読破していくんだけどね。
ぼくは、そんなことより、ほんとはシナリオ書いてほしいなと思ってるんだけど(笑)。まあ、しょうがない。これは通過儀礼だ、と。
で、読んだあとね、自分でシナリオ書く一方、なんか知らないけど大学ノート一冊書いてるんですよ。
それで、なにかっていったら、「紅花の作り方」ってタイトルを書いて、ほんとうの紅花はこうやって作った方が良いっていう、考え方を自分で発明するわけよ。
それで、「あの三人に聞いたことは間違いだ」って言い出すんですよ。それで、米沢に鈴木さんっていう人がいてね、「僕が思うに、この人なら僕の考えを理解してくれるはずだ」と。それで、シナリオ作ってる途中で、この人に会いに行きたいっていうから、ちょっと待ってくれと。そんなことやってたら、時間がなくなるので。
しょうがないから、スタッフのひとりにね、そのノートをその人のところに持って行かせて。で、読ませるとね、「これはいったい誰がお書きになったんですか? これは正しいです」とか言われてね、それで本人は満足するとかね。そういう人なの。